LISSONE
~1600 - 2020+
リッソーネ、1600年からの長いヒストリー
1600年
1008人の住民
スペインの領土に圧迫された小さな町で、主に農業と織物が町の産業でした。
リッソーネはリッソーネと北部のカッシーナアリプランディ(現在はサンタマルゲリータ)と呼ばれる2つの地区に分けられました。
1700年
“Monza の Villa”
ハプスブルク家の下で経済が成長し木工が始まります。
ミラノの裕福な人々(貴族だけでなく)がブリアンツァに別荘を建てることが流行し、建築家、室内装飾家、庭師、大工といった専門職の需要が高まりました。
Maria Teresaの息子Ferdinandoと妻のMaria Beatrice d’Este(モンツァの別荘)のプロジェクトが発足しました。
700以上の部屋の内装を製作するために、リッソーネの多くの人々は農業や織物を手放し家具を作りを始めました。
1800年
ナポレオン
ナポレオンは彼の継子のEugenio Beauharnais viceroyを後継者として任命し、「Villa Reale」と呼ばれるモンツァのヴィラに住んでいました。
北イタリアの1800年から1850年までの貴族の邸宅はすべて職人によって内装製作、装飾されており非常に手入れの行き届いた家具の製造から比較的安価でありながら高級な家具の製作が可能になりました。
1850年
リッソーネが家具の中心地となり、
イタリアで最も重要な家具の町になりました!
リッソーネはイタリア、ニース、ボルドー、モナコ、シカゴなどの見本市に参加して世界中でその名を知られることになりました。
1900年
ヨーロッパから世界へ
パリの万国博覧会でその名を知られたリッソーネは他の競合国を出し抜いてトルコおよびエジプトの市場で力を発揮、リッソーネの家具職人は中東にまで市場の幅を広げました。ヴィラレアーレ(モンツァ離宮)で最も重要な家具はリッソーネで製作されました。
リッソーネの職人は、バチカン市国、モナコのアルベルト1世宮殿、モンテカルロのカジノ、ニューヨークのSt. Vincent Ferrieri教会のオルガンを内外装しており、イタリアおよびヨーロッパで最も有名なホテルの内装も手がげました。ロンドンには多くの顧客が存在し、リッソーネはベルギーとフランスよりも、重要な家具の街に成長、週に120部屋のインテリア家具や建材、装飾品をイギリスに輸出していました。対イギリス輸出量も他国の追随を許しませんでした。
この時期にリッソーネの職人が世界で最も重要且つ有名なデザイナーの作品を製作するようになりました。
1950年
After World War II
1950年には150億イタリアリラの売上、イタリア全体のインテリア建材、家具部門の30%をリッソーネで生産するようになっていました。
1958年にリッソーネ郊外にある、5つのフロアに400のスペースを持つ「Centro del Mobile」が誕生しました。
家具展示場が50万平方メートルと広大な中にリビングルーム、ベッドルーム、キッチン、バスルーム、オフィス。今現在のミラノサローネの展示の基礎となりました。
経済と結託した文化と芸術の融合は成功を生みました!
1985年
Milano Triennale 1985
リッソーネの「The Elective Affinities」プロジェクトにより、21人の国際的デザイナーと建築家が集まり、ミラノの「XVII Triennale」のプロジェクトが発足、大盛況を迎えました。
“AMBASZ, AULENTI, BOTTA, CERRI, COOK, EISENMAN, GRAVES, HEIKKILA, HEJDUK, HOLLEIN, ISOZAKI ARATA, MASSONI, MENDINI, MONEO, NATALINI, PORTOGHESI, SCARPA, SITE, SOTTSASS, UNGERS, VENTURI“
ソットサス、アウレンティ、イソザキ、メンディーニ、他の国際的デザイナー建築家を招聘してのプロジェクトは長いファーニチャー、内装、インテリアの歴史の中で、
世界中のデザイン文化の転換点になり、リッソーネの職人の高い技術を世界に示し、今日のミラノサローネの発展と名声の礎となりました!
2020年
そして今、21世紀には…
北イタリアに存在する小さい町ですが、リッソーネの職人や彼らが作り出す家具には歴史と伝統に裏付けられた世界的価値があります。
それを支えるブリアンツァとミラノのアルティジャーニ、デザイン関係者とともに日本のインテリアに変革を起こし、人々の毎日の暮らしに貢献できればこんなに嬉しいことはありません。